武漢で発生したウイルスと空想する二つの世界

   武漢で発生したウイルスと空想する二つの世界
                  鹿島倭弧

  ある国々では、ウイルスによる人命の損失よりも経済を重視し、多くの犠牲者を出すことを容認。人や経済を動かすことに重点を置いた政策を実施することとした。その政策によって感染は行き渡り、早期に疫病は終息。短期間での急激な労働人口の減少となったことにより、人件費が高騰。労働者の黄金時代が始まる。労働者の賃金が大幅に上がったことによって、消費が拡大。好循環によって経済の立て直しに成功。国民は犠牲を出しつつも、いち早く従来の社会生活に戻ることができたのである。
  一方、ある国々では、人命尊重による政策によって、度重なる都市封鎖と外出制限がかけられ、収束の見えない情勢が長期的に続くことになる。それによって経済は甚大な影響を受けることになるのだが、疫病の終息を諦めたことにより、企業活動のあり方、生活のあり方をすっかり変えてしまう。
  元の生活に戻った人々と、生活を変えた人々は、暫くの間、切り離される世界となった。
  元の環境に戻った国々では、今日も楽しそうにフード店や遊園地に列を作って、友達とじゃれあい、触れ合い、他人とも笑顔を見せ合って、幸福に包まれている。
  変わることを選択した国々では、マンションから外へ出る際は、ベランダから空を飛ぶ機械で出かける。全身を防護スーツで包んで、他人と距離を取り、空を移動する。屋内では信頼のできる人とだけ、防護マスクやスーツを脱いで、コミュケーションを取るのである。そして、過去の世界に生きる国々の様子をスマホで覗いては、「ああ、懐かしい」と羨ましがることもあるのだが、自由に空を飛びながら、新たなルール、新たな遊び、新たな仕事、新たな試練、新たな世界に武者震いして、マスクの下で微笑むのであった。